2017 101234567891011121314151617181920212223242526272829302017 12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

アメリカ発祥の地、ジェームズタウン観光

コロニアル・ウィリアムズバーグを訪れた翌日は、ウィリアムズバーグの西にあるジェームズタウンという町に行ってみました。
ジェームズタウンは、イギリスが初めて上陸し、植民地を建設したいわば”アメリカ発祥の地”です。

アメリカ独立戦争で独立した、アメリカ13植民地(マサチューセッツ、ニューハンプシャー、コネティカット、ロードアイランド、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア)の中で最も古いのが、ここジェームズタウンやウィリアムズバーグがある「ヴァージニア植民地」というわけです。
ヴァージニア植民地は、初めて黒人奴隷が持ち込まれた場所でもあります。


1607年、イギリスのヴァージニア会社が3隻、105名をこの地に送り込みました。
植民地を作るという作業は、イングランド王室から許可を得た、れっきとした「民間会社」によって計画・実行されていました。
投資家たちはこのヴァージニア会社に投資をし、入植者が金銀を掘りあてて戻ってくるものと期待していたわけです。
実は1607年以前にも探検隊やら108名の開拓者やらを送り込んでいるのですが、残念ながら全員行方不明となっていました。なんとか生き残って植民に成功したのが1607年だったというわけです。

イギリス以外にもライバルのスペインやフランスがアメリカ大陸の植民地化をせっせとやっていましたから、彼らの息がかかっていない東海岸を中心にイギリスは植民地展開をしていきました。
上陸の場所は慎重に選ばれました。

① ライバルのスペイン船などから見つかりにくい場所であること
② 大型船が接岸できる、水深の深い川であること
③ インディアンの居住地とかぶらないこと

これらの条件をクリアしたのが、ジェームズ川河口から50キロほどさかのぼった湿地地帯でした。
そこを当時の国王、ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと名付けました。
アメリカは、地名でどこの植民地だったのかすぐわかります。
チャールズとかジェームズとかジョージとかつくもの、ニューヨーク、ニューハンプシャーなど”New”ついてればイギリス。ちなみに、”カロライナ”は「チャールズ」のラテン語読みです。
ロサンゼルス(天使の意味)、サンフランシスコ、サンタフェ、サンアントニオなど”サン=聖”を頭につけるカトリック色が濃いのはスペイン。ルイジアナ、セント・ルイスなど「ルイ14世」にちなんだものはフランス。などなど。



ジェームズタウンの川岸、いくつもの十字架が並ぶ。

IMGP9559.jpg

なんとかかんとか辿りついたものの、彼らの生活は本当に悲惨でした。
生きるためにまずやらなければならないことは何でしょう?
最優先は「飲み水」の確保ですよね。
しかし、この場所は海のすぐ近くのため、井戸を掘っても海水が湧いてしまい、飲み水の確保がすごく大変だったようです。
塩水か、汚い水ばかり飲んでいたためとうぜん健康状態はみるみる悪化しました。

次は「食料の確保」。
魚を釣り、そのへんのリスやうさぎ、鳥を狩ってたとしても100人を毎日食べさせるほどの量を確保するのは至難の業です。だいいち、そんなに殺してたらすぐに周辺の動物はいなくなってしまうし。

空腹の日が続き、腸チフスや赤痢、マラリアなどの病気にかかり次々に倒れていく。
このへんは冬はとても寒く雪が降るので、寒くなると食料の確保はますます困難を極めました。
最初に到着した105名のうち、半年以内で半数が、1年以内に7~8割の人が死んでしまいました。
あまりに飢えがひどく、食べ物とはいえない洗濯のりをおかゆにしたり、ついには墓を掘り起こしたり身内を殺して人肉を食べるまでになっていました。

IMGP9581.jpg

「食べられた14歳の少女」の頭蓋骨と、顔の再現
発掘調査によって、頭蓋骨などにナイフで不自然に切り取られた跡、要するに少女が人間に食べられた形跡が発見されました。
彼らの生活が本当に限界まで追い詰められていたことがわかります。

こんな状態になったら人間、穏やかでいられるわけがありません。

結局、インディアンを殺して食料を奪い取るしかない。

となるわけです。

その略奪行為の指揮をとったのが ジョン・スミス という人物です。

IMGP9543.jpg

ジョン・スミスの銅像。

この人は傭兵としてオスマン帝国と戦ったり、捕えられて奴隷として売られたり、奴隷の時の主人を殺して脱出しモスクワ大公国に逃れ、ポーランド、神聖ローマ帝国、ドイツ・フランス・スペイン・モロッコを転々とするなど波乱万丈な人生を歩んだ、荒くれ者を地でいくような人物でした。
そんなサバイバル人生を経験してきた男だからこそ、こんな過酷な地でもサバイバルできたのでしょう。
やってることは最悪ですが、略奪の一方で農業を奨励し、この男のおかげで入植者はなんとか食いつないでいけたのでした。
ちなみに、今でもよく使われる「働かざる者、食うべからず」という名言は、この苦しいジェームズタウン時代にジョン・スミスが言った言葉です。

略奪行為をずっと繰り返されて、インディアンも黙っておとなしくしているわけがなく、入植者とインディアンの間で何度も戦争が起こりました。
1622年にインディアンが一斉蜂起し、入植者347人を殺害。
報復として、「和平を結ぼう」と用意した祝いの席で、インディアンに毒入りの酒をふるまい約200人を毒殺。
こんな悲惨な戦いが、何度となく繰り返されたのでした。

はじめて入植した1607年から1624年までに入植者は約6000人もいましたが、飢え、病気、繰り返されるインディアンとの戦いで7~8割の人が亡くなっていました。
それにしても、こんなにグダグダな状態で始まった国が、300年そこらで世界一の超大国になろうとは!!
今現在、ニュースで「よそ者がある国の略奪、殺害、宗教弾圧を繰り返しながら勢力をつけている」と聞いたとき、「そんな国、つぶしてしまえ」「なんて残虐なんだ、危険だ、絶対に台頭させてはならない」という意見が大多数になると思いますが、アメリカの始まりはまさにそれだったのです。
アメリカの歴史のうち、スタートの部分を切り取るのと、その後300年の歴史を切り取るのとではまるで別物のようです。
これだけ短期間に変化を遂げた国ですからあと200年、300年後にはアメリカという国がどうなっているか?まったく予想がつきません。


ジェームズタウンには当時の廃墟が多く残っています。

IMGP9tr452.jpg

現在発掘中の遺跡も。
すでに100万点もの遺物が発掘されました。

IMGP9603.jpg

亡くなった人が多かったので、土中からは遺体がざっくざく掘り出されています。博物館で多くの遺物を見ることができます。

IMGP9573.jpg

この人はひざに鉄砲の弾をくらっていました。内部で争いがあったか、戦いのさなかに流れ弾を受けたか・・・



動物もたくさんいました。
リス、野うさぎ、カモ・・・

IMGP9439.jpg

IMGP9607.jpg

IMGP9520.jpg



略奪し、飢えをしのぎながらも、イギリスは入植者を次々送り込み次第にジェームズタウンの人口は増えていきました。
伝染病が発生しやすかったジェームズタウンを捨て、1699年ヴァージニア植民地政府はウィリアムズバーグに移転
前回の記事の、ウィリアムズバーグはこうして苦難のジェームズタウン時代を乗り越えて、作られた町なのでした。
1779年にはウィリアムズバーグからさらにリッチモンドへと、首都は移転していきますが、このジェームズタウン⇒ウィリアムズバーグ⇒リッチモンド、と歴史の古い順から町を歩いてみると非常に面白いと思います。
アメリカの歴史を知るのにすごくおすすめの観光地です。



ヒストリック・ジェームズタウンのホームページ

*入場料は14ドルです




関連記事
スポンサーサイト

Re: さんし

さんしさん、こんにちは。
アメリカ史、意外と知らないものですよね。ジェームズタウンの歴史は私も調べていてとても面白かったです。アメリカの博物館は人肉食のこともあけすけに展示してますし、実際に骸骨を見て本当にあったことなんだなぁと実感できました。
ブログが長くなってしまうのでポカホンタスのくだりは割愛しましたが、ポカホンタスに関わる話や銅像も充実していましたよ。
ただ、実際はジョンスミスを助けたというのは作り話で、結婚も拉致されたようなものらしいですが・・
そんなに昔の話ではないのに、歴史というのはすぐに都合よく脚色されるものだなと思いました。
ジェームズタウンは訪れることができて本当に良かったです。

[ 2015/07/12 10:46 ] [ 編集 ]

さんし

こんにちは

初めて アメリカ史を読んだのが10年前でした。
「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」 Japan Book出版
英語&日本語対訳が付いてサクット読める良い本でした。
ジェームズタウンで105人中32人が生き残り・・入植者たちは金持ちになるためにアメリカへやってきて暴力で金や銀を得ようと望んでいた。。水も海水、食べる物も無く、農作物を育てる時間も無くマラリヤにやられてしまった・・
ページをめくってみますと、ジョン・スミスがインデアンに捕まり、パウハタン族の族長の娘ポカホンタスに助けられるくだりも出ていました。。。
それにしても人肉までも・・それを博物館に展示してある・・大変驚きました。
一番身近にあるアメリカなのに、学校で習ったことがボストン茶会事件くらいしか覚えていないのが残念でした。
 小学生の歴史の教科書なのに知らない名前ばかりだったと記憶しています(笑)
 歴史好きの者にとって、楽しい記事を提供していただけるのは、ありがたいことです。
[ 2015/07/11 11:01 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する












上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。