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テキサス州 サンアントニオ観光① 道路が汚い

更新が久しぶりになっちまった~
ネパールの地震、びっくりしましたね。というのも、最近うちの母がちょうどネパールを旅したばっかりだったから・・・ 火山も爆発しまくりだし、ほんとに地球は今、活動期ですね。アメリカ西海岸もそろそろ大地震きそうだな。

さて、先週末はテキサス州、サンアントニオに行ってました!
テキサス州のどっかはとにかく一度行きたいと思っていたので、行けて本当によかった!

なんでテキサス州に行きたかったかというと、ここはアメリカの中で特別な歴史を持ってるからです。
スペイン、フランス、メキシコに支配され、一度は「テキサス共和国」としてメキシコから独立し、アメリカ南部連合国→アメリカ合衆国、という流れをくんでいる。要するに、短いアメリカ史の中で6つの国を渡り歩いた州、といえるわけで、こんな複雑な歴史を持つ州は他にないからとても興味がありました。

サンアントニオまではシャーロットから飛行機で2~3時間くらい。時差が1時間あります。
この旅で、1年のアメリカ生活において飛行機に乗るの20回目!
いやー乗ったな。乗った乗った。相変わらず飛行機ダメ。変な汗かくのは変わらないね~。

サンアントニオはここ ↓



サンアントニオはアメリカとメキシコの国境にかなり近い位置にあり、都心から車で2時間も走ればメキシコに行けちゃいます。
実際行ってみて、住んでいる人々の顔つきを見たらわかりますが、ほぼメキシコでした。
メキシコ行ったことはないけど、一応アルゼンチン行ったから南米の空気感はわかるわけよ。
南米顔の人ばっかりだし、スペイン語しゃべる人多いし、案内やメニューも英語とスペイン語並べて書いてあるし、道路は汚く雑然としてて、メキシコに行かずともメキシコを体感できる、そんな場所でした。
ほんとに、思った以上にメキシコな都市でしたね~


サンアントニオ空港についたらまずはレンタカーを借りる。
いつも安心と信頼と実績の日本車で!ってお願いするんだけど、ちょうどなかったのでフォード車のクーガを借りました。

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アメリカにある数々の車と並べると小さく見えるこのクーガですが、実際はトヨタのSUV・ハリアーより一回りでかいです。アメリカの車がとにかくでかすぎなんだよ!!
私も運転してみましたが、うーんやっぱり全然感覚が違うね。駐車場に停めるときとか、車間感覚がうまくつかめなかった。でかい車のわりにハンドルがけっこう軽くて。内装とかシートとか高級感があって、乗り心地はよかった。

それにしても、サンアントニオは今までアメリカで走った中で、一番道路が汚かったし道がわかりにくかった。
作りがテキトーすぎるというか、なんも考えてないというか・・・・ アメリカのありとあらゆる都市を車で走り回ってきた旦那ですら、怖い怖いっ!!を連発してたくらい。
高速道路、ジャンクションは特に鬼のようなわかりにくさ。あれは死ねる(汗)
急カーブの直前で合流があったり、分岐のめっちゃ直前で分岐の案内看板があったり(こっちは120kmで走ってんだぞ!!普通に通り過ぎるわ!)南米の道路だわ、あれは・・。

下記の写真は、高速道路の写真ですよ!!

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さあ、どの線に沿って走ればいいでしょうか!?

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正解は白線でした!!

IMG_0953.jpg

なんなんだこの黄色い線は・・・

日本の高速道路が綺麗すぎて、この落差にショックを隠し切れません。。。
もちろん、くしゃくしゃになった事故車も目撃しましたよ・・・(*_*) どこいっても事故だらけ!





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今日の買い出しつれづれ

今日は買い出しデー。

旦那の目の調子が悪かったので今日は私が運転手。
まずは、焼酎を買いにいつものサウスカロライナ酒店、Frugal McDoogal Beverageへ。
旦那が焼酎飲みまくるため、もう、何度来たかわからない!!

何度目?かの高速道路の運転、これまたひっさびさだったけど、まあだいぶ慣れたっていうか、混んでなければなんとか大丈夫かな~。
アメリカの高速はホントに高速なんですよね。普通の高速道路じゃない道で100キロ出すから、高速道路だと全員120~130キロくらいで走るんです。マジ速いっす。アメリカで軽自動車なんて1台も見かけたことないけど、危なくて走れませんよとてもとても。

焼酎買って、韓国料理屋いって、ウォルマートで水買って、Gマートで食材買って、とシャーロットをまるっと一周して帰宅。
一周したら何キロくらいなのかな、って走行距離測ってみたら、合計約110kmっすよ。直線距離で東京都心から富士山まで行ける距離っすよ。
買い出しに行くだけで、110kmも運転せねばならないなんてさすがアメリカ( ;∀;)
長時間運転慣れてないから疲れた~。
1年前にブッチャー試験官に震えおののきながら運転免許試験を受けたことを思いだした。
1年経って、シャーロットをぐるりと一周運転できるまでに成長したんだなあ。。。
最近では、ウインカー出さずに(しかも狭い車間でも構わず)横入りしてくる車にまったく驚かないし、「あ~こいつ絶対入ってくるな」ってわかるようになった。むしろ、自分が強引に割り込む力も少しついた(笑)

そして、今日も追突事故を目撃。
しかも、信号が赤になって、ちょうど事故車の隣に止まるはめに。ぶつけられた運転手の人、ぐったりしてたっぽいけど大丈夫かなあ。。。はあ~、それにしても事故多すぎ・・・
最近は、出かけて事故を見る確率が7割くらいに上がっているような(汗)
さらに、車にひかれた動物の死骸も5体以上は見たかな。これも毎度のことだけど、勘弁してほしい。
はやく日本人が運転する綺麗で安心安全な道路を走りたいです!


[ 2015/04/19 ] ◆シャーロット生活◆ | TB(-) | CM(2)

チャールストン観光⑤ 旧奴隷市場博物館

チャールストン、まだまだ続きます。
今度は街中を歩いてみました。

サバンナ同様、チャールストンも古い街なので歩きながらたくさんの歴史的建造物に出会うことができます。
ただ、チャールストンはより観光地化されていて、マーケットやグッチやヴィトンといったブランドショップも並んでおり、サバンナよりも”ああ、いかにも観光地を歩いているな”という実感があります。
ショッピングをするならチャールストン、のんびり古い街並みを楽しむならサバンナのほうが適している、というところでしょうか。

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こちらは聖フィリップス教会。(Saint Philip's Church)
作られたのは1680年と、めっちゃ古い!チャールストンという町ができてすぐ、作られたんですね。

見学しようと入り口にに入ったら、推定85~90歳くらいの杖をついたヨボヨボのおばあちゃん(教会のスタッフかボランティアの人と思われる)が近づいてきて、「where are you from?」と聞いてくる。
日本からだ、というとあらまあ、それは大変と言いながら、教会のパンフレットを渡しながらマシンガントークが始まった・・・
キリスト教に超熱心なおしゃべり好きのおばあちゃんのおしゃべりを止めることほど困難なことはない(笑)
「What is your faith?(あなたの信仰は何?)」と聞かれ、無宗教と言ったら即説教されキリスト教に勧誘されると思い、「I'm a Buddhist(仏教徒です)」と答えておいた。
教会内を見学したいのだが、おばあちゃんに捕まって全然中に入れない・・・
どうやら今はイースター前で大事な週にあたるらしく、キリスト教のこと、教会のことなどひたすらしゃべり続けていた。
おばあちゃんのヨボヨボイングリッシュを聞き取るのは大変難しく、言ってることがよくわからなかったので10秒に1回、微笑みながらうなずく、という作業を忍耐強く繰り返してしばらくすると、別の観光客が来たので今度はそっちがターゲットに・・・・助かった!(笑)
おばあちゃんからぜひ芳名帳に記帳してよと強く勧められ、わけもわからず名前を書いてスタコラ教会を後にした。
結局内部の見学はできなかった・・。


「旧奴隷市場博物館(The Old Slave Mart Museum)」に行ってみました。
入場料は7ドルです。

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「旧奴隷市場博物館」名前のとおり、ここでアフリカから到着した奴隷たちが取引された場所です。1859年に当時チャールストン長官のThomas Ryan氏によって創建されたので、通称、Ryan's Martと呼ばれていました。
1865年に北軍がチャールストンを占拠するまで、ここは奴隷市場として大いに栄えました。
学校では奴隷制についてそれほど詳しく習った記憶がないのですが、奴隷制を支える仕組みは思っている以上に複雑です。

最終的にアメリカ大陸には1000万~2000万人の奴隷が運ばれてきました。
ところで、そんなに大量の奴隷をどのように確保したのか?ですが、アフリカの土地に慣れない白人が自ら、危険の多いアフリカ中を汗水流して駆け回って捕まえるわけがないですよね。
アフリカの有力部族に鉄砲など武器を与え、弱い部族を襲撃させて奴隷を確保していきました。
残念ながら黒人が黒人を売るという、アフリカ内で既に奴隷を売買する仕組みがばっちり出来上がっていて、チャールストン港では奴隷が輸送されてくるのを待つばかりだったのでした。
もっとも、アフリカでは白人が入る700年も前からずっと、アラブ人による大規模な奴隷売買がすでに行われていたので、奴隷貿易自体は決して目新しいことではありませんでした。もちろん、アメリカ大陸に奴隷を売るアラブ商人がいたことも事実です。

到着した奴隷は、年齢、性別、体格など様々は基準で値段がつけられ、売られていきました。

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「AGE VALUE」 年齢による値段表です。
1歳が100ドル、10歳が400ドル、とだんだん値が上がり、一番働き盛りの20歳での900ドルが最高値。
20歳を過ぎると、また値がだんだん下がっていき、60歳で50ドルが底値です。
この年齢による売値ベース以外にも、性別、体格、職業能力、付加価値が加味され最終的な価格がつけられました。
奴隷を少しでも高く売るために、食べ物を与えて太らせたり、オイルを塗って丈夫そうに見せたり、白髪を黒く染めさせたりし、売る側も高値で売れるようにあれこれ画策しました。

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実際に使われていた「二グロ・リスト」。
名前、年齢、職能などのリストに、手書きで「価格」が書き込まれています。1000ドル程度が多かったようですね。
当時の平均年収が200~400ドルと言われていますので、奴隷一人1000ドルともなると、かなり大きな出費だったことでしょう。


チャールストンは華やかで人気の観光地ゆえに、暗い歴史と貧富の差が目立つ町でもあります。
チャールストンのメインストリートから15~20分程北に歩けば、景色が一変、貧しい街並みに変わります。さらにその北側には、アメリカ有数の貧困&治安が悪い地域、ノースチャールストンがあります。
ノースチャールストンに宿泊し、車で南下しながら景色や雰囲気がどんどん変わっていく様子を目の当たりにして、チャールストンが持つ歴史の暗部を感じ取ったのでした。


チャールストンでは南部料理も食べました。

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ミートローフ、アスパラ、フライドオクラ、マフィン。
オクラのブツ切りから揚げは、アメリカ南部を代表する料理です。すっごいおいしい!酒のつまみに最高(笑)




アメリカ生活一周年記念ケーキ!

なにかしらイベントにかこつけてケーキ作りをしている昨今、アメリカ一周年記念ケーキを作ったった!

星条旗を意識した配列!なんとか星条旗ぽく見えるかなー(^▽^;)
いつものケーキ素材、ブルーベリーといちごで星条旗の色ができるので便利だわ。

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直径23センチのアメリカンサイズ(笑) 
夕飯の支度前にわたわた作ったのでけっこう雑になってしまった。でかすぎて生クリーム足りんし。
2人だと食べるのがたいへん。

今回のスポンジはふわふわでおいしくできた。
卵の泡立てがちゃんとできれば、ふわふわになりますね。




飛行機恐怖症の下痢バラ離陸で初めてアメリカ大陸に上陸したあの日から、あっというまに1年が経ちました。
幸い、来たその日からアメリカのすべてが面白くて仕方なかったです。ほぼ毎月旦那の出張があり、ぽつんと一人残されることも多かったし、日常生活でも旅先でも日本人に出会うことが全然なかったけれど、もう嫌だ!日本帰りたい!とホームシック的なものになったことも一度もなく、むしろあと何年でも住んでいいっすよ~、って感じでとにかく楽しくマイペースに過ごさせて頂きました。(ゴキブリとの戦いだけは大変だったケドね)
それもすべて旦那さんをはじめ、家族、友達などたくさんの人の支えのお陰です。ありがとうございます。

アメリカのシャーロット?どこっすか?っていう、日本人が旅行で訪れることはほぼない超ローカルなシャーロットネタ満載なこのブログも、読んでくださる皆様のおかげで続けることができました。
一部の友人とシャーロットに住んでる一部の日本人せいぜい数人くらいしか見ないだろ、と思ってましたが、どうやら毎月千人以上が見に来てくださっているようで、えっ、そんなに誰が見てるん!?って感じですが、ほんとに毎月数千アクセス頂いているのです。びっくりです。本当にありがとうございます。
シャーロットってほんとに何にもないところだと思ってましたが、意外に遊ぶところはたくさんあるものでして・・・
シャーロット国際空港も世界第7位という、超ビッグな空港であることも、旅好きにはすごくありがたかった。
ブログではシャーロットって意外といいとこよ、便利で面白いとこなんだよ、ってことを細々と伝えられればいいかなと思ってますので、引き続きよろしくお願いします。

帰国の日まであと数か月と迫ってきて、そろそろ身辺整理など視野に入ってきています。
もともと、任期が短いのであっというま!
旦那は帰国したらどの車買おっかなー、とるんるんしてますし、早くもネットでアパート探しも始めちゃいました(笑)
さー、アメリカにいる間に、あとどれだけ旅ができるか!!根っからの旅人である旦那も私も焦り始めています。とにかくできるだけ休みは旅に充てたいと思っています。
なにせ、旦那の出張行きまくり生活のお陰で飛行機のマイレージが大量に貯まってるし、行きたいとこまだまだいっぱいあるしね。

悔いのないよう、残りのアメリカ生活も楽しく過ごしたいと思います。

チャールストン観光④ 潜水艦内部

さー、いちおう潜水艦(USS Clamagore SS-343)もやっときましょうか。

巨大で豪華な空母と違い、潜水艦はま~、見るからに狭い。
空母が広大な豪華絢爛お屋敷暮らしだとしたら、潜水艦は4畳半のオンボロアパート暮らし、といったかんじ。

まずは外観から。
幅8,3メートル。全長95メートル。潜水艦の向こうに空母。

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入り口は潜水艦上部のせま~い入り口(赤い矢印)から入ります。

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内部は、ほんっとに狭い。狭いのひとこと。空母を歩き回った後だけに、これはきつい!!と思いました。

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通路はこの1本があるのみ。
私でも通るのが精いっぱい。ガタイのいい大男がこんなところで何か月も暮らしたら精神的に狂いそう。

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トイレも超狭い。

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上官の部屋でさえ、2畳ほどの広さしかない。


潜水艦乗組員の生活環境は劣悪もいいところで、どれほど過酷だったか想像に難くない。
まず、潜水艦内の気温は30℃前後でめちゃくちゃ暑い。
そして、ほぼ湿度100%。
そのため、食料はすぐに腐り、ほぼ缶詰生活。
真水がとても貴重なため、なかなか風呂に入れない。そのため服がものすごく汚れるが、洗濯する水もないので洗濯できない。とうぜん、船内はどんどん臭くなる。
そして、大きな空母と違い波の揺れももろに受ける。
新鮮な空気を吸いたくても、みだりに浮上できない。

潜水艦乗組員にだけはなりたくないですね~!!


この潜水艦は1945年に進水したため、主な活躍は冷戦時だったようです。
それにしても、何十年も海水に浸かりっぱなしの割には綺麗かも。




空母、潜水艦をまわったら駆逐艦まで歩き回る気力が失せてしまいました。
戦艦とか見回るのって、ほんとに疲れるんですよ(-_-;)

駆逐艦は外観のみ眺めて、終わりにしました。

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この駆逐艦(USS Lafey DD-724)は沖縄まで来たようです。
22機の戦闘機に攻撃されたと書いてあります。ヨークタウン共に、太平洋戦争に参加した主力艦だったのですね。


すべては見回り切れませんでしたが、太平洋戦争と縁の深い空母、戦艦を見れたことは非常に貴重な経験となりました。













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