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アメリカ発祥の地、ジェームズタウン観光

コロニアル・ウィリアムズバーグを訪れた翌日は、ウィリアムズバーグの西にあるジェームズタウンという町に行ってみました。
ジェームズタウンは、イギリスが初めて上陸し、植民地を建設したいわば”アメリカ発祥の地”です。

アメリカ独立戦争で独立した、アメリカ13植民地(マサチューセッツ、ニューハンプシャー、コネティカット、ロードアイランド、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴェニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア)の中で最も古いのが、ここジェームズタウンやウィリアムズバーグがある「ヴァージニア植民地」というわけです。
ヴァージニア植民地は、初めて黒人奴隷が持ち込まれた場所でもあります。


1607年、イギリスのヴァージニア会社が3隻、105名をこの地に送り込みました。
植民地を作るという作業は、イングランド王室から許可を得た、れっきとした「民間会社」によって計画・実行されていました。
投資家たちはこのヴァージニア会社に投資をし、入植者が金銀を掘りあてて戻ってくるものと期待していたわけです。
実は1607年以前にも探検隊やら108名の開拓者やらを送り込んでいるのですが、残念ながら全員行方不明となっていました。なんとか生き残って植民に成功したのが1607年だったというわけです。

イギリス以外にもライバルのスペインやフランスがアメリカ大陸の植民地化をせっせとやっていましたから、彼らの息がかかっていない東海岸を中心にイギリスは植民地展開をしていきました。
上陸の場所は慎重に選ばれました。

① ライバルのスペイン船などから見つかりにくい場所であること
② 大型船が接岸できる、水深の深い川であること
③ インディアンの居住地とかぶらないこと

これらの条件をクリアしたのが、ジェームズ川河口から50キロほどさかのぼった湿地地帯でした。
そこを当時の国王、ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと名付けました。
アメリカは、地名でどこの植民地だったのかすぐわかります。
チャールズとかジェームズとかジョージとかつくもの、ニューヨーク、ニューハンプシャーなど”New”ついてればイギリス。ちなみに、”カロライナ”は「チャールズ」のラテン語読みです。
ロサンゼルス(天使の意味)、サンフランシスコ、サンタフェ、サンアントニオなど”サン=聖”を頭につけるカトリック色が濃いのはスペイン。ルイジアナ、セント・ルイスなど「ルイ14世」にちなんだものはフランス。などなど。



ジェームズタウンの川岸、いくつもの十字架が並ぶ。

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なんとかかんとか辿りついたものの、彼らの生活は本当に悲惨でした。
生きるためにまずやらなければならないことは何でしょう?
最優先は「飲み水」の確保ですよね。
しかし、この場所は海のすぐ近くのため、井戸を掘っても海水が湧いてしまい、飲み水の確保がすごく大変だったようです。
塩水か、汚い水ばかり飲んでいたためとうぜん健康状態はみるみる悪化しました。

次は「食料の確保」。
魚を釣り、そのへんのリスやうさぎ、鳥を狩ってたとしても100人を毎日食べさせるほどの量を確保するのは至難の業です。だいいち、そんなに殺してたらすぐに周辺の動物はいなくなってしまうし。

空腹の日が続き、腸チフスや赤痢、マラリアなどの病気にかかり次々に倒れていく。
このへんは冬はとても寒く雪が降るので、寒くなると食料の確保はますます困難を極めました。
最初に到着した105名のうち、半年以内で半数が、1年以内に7~8割の人が死んでしまいました。
あまりに飢えがひどく、食べ物とはいえない洗濯のりをおかゆにしたり、ついには墓を掘り起こしたり身内を殺して人肉を食べるまでになっていました。

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「食べられた14歳の少女」の頭蓋骨と、顔の再現
発掘調査によって、頭蓋骨などにナイフで不自然に切り取られた跡、要するに少女が人間に食べられた形跡が発見されました。
彼らの生活が本当に限界まで追い詰められていたことがわかります。

こんな状態になったら人間、穏やかでいられるわけがありません。

結局、インディアンを殺して食料を奪い取るしかない。

となるわけです。

その略奪行為の指揮をとったのが ジョン・スミス という人物です。

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ジョン・スミスの銅像。

この人は傭兵としてオスマン帝国と戦ったり、捕えられて奴隷として売られたり、奴隷の時の主人を殺して脱出しモスクワ大公国に逃れ、ポーランド、神聖ローマ帝国、ドイツ・フランス・スペイン・モロッコを転々とするなど波乱万丈な人生を歩んだ、荒くれ者を地でいくような人物でした。
そんなサバイバル人生を経験してきた男だからこそ、こんな過酷な地でもサバイバルできたのでしょう。
やってることは最悪ですが、略奪の一方で農業を奨励し、この男のおかげで入植者はなんとか食いつないでいけたのでした。
ちなみに、今でもよく使われる「働かざる者、食うべからず」という名言は、この苦しいジェームズタウン時代にジョン・スミスが言った言葉です。

略奪行為をずっと繰り返されて、インディアンも黙っておとなしくしているわけがなく、入植者とインディアンの間で何度も戦争が起こりました。
1622年にインディアンが一斉蜂起し、入植者347人を殺害。
報復として、「和平を結ぼう」と用意した祝いの席で、インディアンに毒入りの酒をふるまい約200人を毒殺。
こんな悲惨な戦いが、何度となく繰り返されたのでした。

はじめて入植した1607年から1624年までに入植者は約6000人もいましたが、飢え、病気、繰り返されるインディアンとの戦いで7~8割の人が亡くなっていました。
それにしても、こんなにグダグダな状態で始まった国が、300年そこらで世界一の超大国になろうとは!!
今現在、ニュースで「よそ者がある国の略奪、殺害、宗教弾圧を繰り返しながら勢力をつけている」と聞いたとき、「そんな国、つぶしてしまえ」「なんて残虐なんだ、危険だ、絶対に台頭させてはならない」という意見が大多数になると思いますが、アメリカの始まりはまさにそれだったのです。
アメリカの歴史のうち、スタートの部分を切り取るのと、その後300年の歴史を切り取るのとではまるで別物のようです。
これだけ短期間に変化を遂げた国ですからあと200年、300年後にはアメリカという国がどうなっているか?まったく予想がつきません。


ジェームズタウンには当時の廃墟が多く残っています。

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現在発掘中の遺跡も。
すでに100万点もの遺物が発掘されました。

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亡くなった人が多かったので、土中からは遺体がざっくざく掘り出されています。博物館で多くの遺物を見ることができます。

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この人はひざに鉄砲の弾をくらっていました。内部で争いがあったか、戦いのさなかに流れ弾を受けたか・・・



動物もたくさんいました。
リス、野うさぎ、カモ・・・

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略奪し、飢えをしのぎながらも、イギリスは入植者を次々送り込み次第にジェームズタウンの人口は増えていきました。
伝染病が発生しやすかったジェームズタウンを捨て、1699年ヴァージニア植民地政府はウィリアムズバーグに移転
前回の記事の、ウィリアムズバーグはこうして苦難のジェームズタウン時代を乗り越えて、作られた町なのでした。
1779年にはウィリアムズバーグからさらにリッチモンドへと、首都は移転していきますが、このジェームズタウン⇒ウィリアムズバーグ⇒リッチモンド、と歴史の古い順から町を歩いてみると非常に面白いと思います。
アメリカの歴史を知るのにすごくおすすめの観光地です。



ヒストリック・ジェームズタウンのホームページ

*入場料は14ドルです




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ウィリアムズバーグ観光② 食べたものいろいろ

ウィリアムズバーグで食べたもの、つれづれ。

コロニアル・ウィリアムズバーグ内のカフェで食べた、モーニングセット。

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写真じゃ伝わらないけど、このオムレツ めっちゃでかいの!
卵4~5個ぶん+ホウレンソウ+チーズ。
パンにもバターがばっちり染みこませてある。
1500カロリーくらいありそう・・・・ 

重くて半分残してしまった。
半分しか食べてないのにずっとお腹いっぱいで、ランチも食べれなかったほどの破壊力。


おやつもコロニアル・ウィリアムズバーグの中で。

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チョコレートアイス。アメリカのミントはマジでかいww

お皿は和食器みたいな柄だけど、植民地時代の伝統的なデザインらしい。お土産ショップでも売ってました。

ほんとは「バニラ」を頼みたかったけど、発音を聞き取ってもらえなくてチョコレートになっちゃった・・・ 前にも同じようなことがあったような。
「バニラ」ってほんと、発音難しい!!バニラのバ=「BとV」そしてラ=「LとR」、の発音の使い分けができてないってことなんだよね~(;´Д`)
アメリカに来てから、言いたいことが出てこなくて困るんじゃなくて、とにかく発音が通じなくて困ることがすんごい多い。自分ではカタカナ読みにしてるつもりはないし、それなりに発音できてるつもりなんだけど・・・・
日本で外人と会話してるときに発音で困ったことってなかったから、発音の重要性は現地に来て洗礼を受けてみないとわからないことだよね。




夜ご飯はFat Tuna Grill & Oyster House というレストランで。
夜は旦那が酒を飲むので、現地に着いてからのホテル⇔レストラン往復の運転はいつも私。
町によって道の作りが複雑で、勝手がわからない道路を運転するのはやはり緊張しますな~

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周囲にセサミをちりばめて焼いたマグロとオイスター どちらも絶品。

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カニのラビオリ。ソースが濃すぎずすっごい美味しかった!


やっぱり海産物はいい!アメリカでも海沿いに旅に出れば、美味しい魚料理が食べれるのは嬉しいです。

ウィリアムズバーグ観光① イギリス植民地時代を忠実に再現した町、「Colonial Williamsburg」

ではでは、アメリカ独立記念日に訪れた、ウィリアムズバーグの旅レポ。

ウィリアムズバーグはシャーロットから車で5時間くらい、北東に走ったところにあります。
こじんまりした町なのですが、ここは、知る人ぞ知る有名な歴史的地区!ウィリアムズバーグは初期のイギリスの植民地だったところで、たくさんの史跡が残っています。
「コロニアル・ウィリアムズバーグ」という、日本でいう明治村みたいな観光地があるのですが、そこに行ってみました。

「コロニアル・ウィリアムズバーグ」は常時開放されているので、ぶらぶら歩くだけなら無料。
建築物や施設館内を見学をしながら見回りたい場合は有料となり、チケットを購入する必要があります。
1日券なら40,99ドル、年末まで入り放題券だと50,99ドル、年間パスが66,99ドル、といくつか種類があります。

この日は独立記念日とあって、たくさん観光客が来ていて混みあっていました。

「コロニアル・ウィリアムズバーグ」は当時の建築物がたくさん保存、再建されているのですが、すごいのはその再現の徹底ぶり。
植民地時代以降の建築物は一切排除しているほか、スタッフ全員が18世紀当時の服装をしています。
ルックスを真似るだけでなく、「しゃべり方」「アクセント」に至るまで当時の再現をしています。

建物は教会、裁判所、武器庫、床屋、靴屋、レストラン、とにかくめっちゃたくさんあって、ほんと広い。
全部しっかり見学していくと1日がかりになりそう。


こちらは総督邸。

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主要な建物では、30~40人くらいのグループに分かれて見学ツアーをやってます。


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こういっちゃおかしいけど、現代の人が来ても似合うというか、衣装に違和感がないですね。
馬車も雰囲気出てますね~


植木で作った迷路。

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日時計。

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こちらはアンティーク品のオークションをしているところ。

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独立記念日なので、30分おきくらいに大砲の音が敷地内のどこからか聞こえてきました。
夜は21時過ぎから盛大に花火が上がってました。最初は見ようかと思ってたのですが、既にホテルに戻っていて外出するのがめんどくさくなり、打ち上げ音だけで雰囲気を楽しみました。


お土産屋さんもたくさんありました。

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18世紀と言えば羽ペン&インクですね!

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帽子も植民地時代のデザインもの。



午前中は農作物、手作りパン、お花などの市場も開かれていて大賑わいでした!

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こういった、生きた歴史博物館みたいなところって滅多にないから、とても面白かったです!
シャーロットから車で5時間くらいで行けるし、雰囲気がいいのでオススメですよ。



「コロニアル・ウィリアムズバーグ」のホームページ















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