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チャールストン観光⑤ 旧奴隷市場博物館

チャールストン、まだまだ続きます。
今度は街中を歩いてみました。

サバンナ同様、チャールストンも古い街なので歩きながらたくさんの歴史的建造物に出会うことができます。
ただ、チャールストンはより観光地化されていて、マーケットやグッチやヴィトンといったブランドショップも並んでおり、サバンナよりも”ああ、いかにも観光地を歩いているな”という実感があります。
ショッピングをするならチャールストン、のんびり古い街並みを楽しむならサバンナのほうが適している、というところでしょうか。

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こちらは聖フィリップス教会。(Saint Philip's Church)
作られたのは1680年と、めっちゃ古い!チャールストンという町ができてすぐ、作られたんですね。

見学しようと入り口にに入ったら、推定85~90歳くらいの杖をついたヨボヨボのおばあちゃん(教会のスタッフかボランティアの人と思われる)が近づいてきて、「where are you from?」と聞いてくる。
日本からだ、というとあらまあ、それは大変と言いながら、教会のパンフレットを渡しながらマシンガントークが始まった・・・
キリスト教に超熱心なおしゃべり好きのおばあちゃんのおしゃべりを止めることほど困難なことはない(笑)
「What is your faith?(あなたの信仰は何?)」と聞かれ、無宗教と言ったら即説教されキリスト教に勧誘されると思い、「I'm a Buddhist(仏教徒です)」と答えておいた。
教会内を見学したいのだが、おばあちゃんに捕まって全然中に入れない・・・
どうやら今はイースター前で大事な週にあたるらしく、キリスト教のこと、教会のことなどひたすらしゃべり続けていた。
おばあちゃんのヨボヨボイングリッシュを聞き取るのは大変難しく、言ってることがよくわからなかったので10秒に1回、微笑みながらうなずく、という作業を忍耐強く繰り返してしばらくすると、別の観光客が来たので今度はそっちがターゲットに・・・・助かった!(笑)
おばあちゃんからぜひ芳名帳に記帳してよと強く勧められ、わけもわからず名前を書いてスタコラ教会を後にした。
結局内部の見学はできなかった・・。


「旧奴隷市場博物館(The Old Slave Mart Museum)」に行ってみました。
入場料は7ドルです。

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「旧奴隷市場博物館」名前のとおり、ここでアフリカから到着した奴隷たちが取引された場所です。1859年に当時チャールストン長官のThomas Ryan氏によって創建されたので、通称、Ryan's Martと呼ばれていました。
1865年に北軍がチャールストンを占拠するまで、ここは奴隷市場として大いに栄えました。
学校では奴隷制についてそれほど詳しく習った記憶がないのですが、奴隷制を支える仕組みは思っている以上に複雑です。

最終的にアメリカ大陸には1000万~2000万人の奴隷が運ばれてきました。
ところで、そんなに大量の奴隷をどのように確保したのか?ですが、アフリカの土地に慣れない白人が自ら、危険の多いアフリカ中を汗水流して駆け回って捕まえるわけがないですよね。
アフリカの有力部族に鉄砲など武器を与え、弱い部族を襲撃させて奴隷を確保していきました。
残念ながら黒人が黒人を売るという、アフリカ内で既に奴隷を売買する仕組みがばっちり出来上がっていて、チャールストン港では奴隷が輸送されてくるのを待つばかりだったのでした。
もっとも、アフリカでは白人が入る700年も前からずっと、アラブ人による大規模な奴隷売買がすでに行われていたので、奴隷貿易自体は決して目新しいことではありませんでした。もちろん、アメリカ大陸に奴隷を売るアラブ商人がいたことも事実です。

到着した奴隷は、年齢、性別、体格など様々は基準で値段がつけられ、売られていきました。

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「AGE VALUE」 年齢による値段表です。
1歳が100ドル、10歳が400ドル、とだんだん値が上がり、一番働き盛りの20歳での900ドルが最高値。
20歳を過ぎると、また値がだんだん下がっていき、60歳で50ドルが底値です。
この年齢による売値ベース以外にも、性別、体格、職業能力、付加価値が加味され最終的な価格がつけられました。
奴隷を少しでも高く売るために、食べ物を与えて太らせたり、オイルを塗って丈夫そうに見せたり、白髪を黒く染めさせたりし、売る側も高値で売れるようにあれこれ画策しました。

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実際に使われていた「二グロ・リスト」。
名前、年齢、職能などのリストに、手書きで「価格」が書き込まれています。1000ドル程度が多かったようですね。
当時の平均年収が200~400ドルと言われていますので、奴隷一人1000ドルともなると、かなり大きな出費だったことでしょう。


チャールストンは華やかで人気の観光地ゆえに、暗い歴史と貧富の差が目立つ町でもあります。
チャールストンのメインストリートから15~20分程北に歩けば、景色が一変、貧しい街並みに変わります。さらにその北側には、アメリカ有数の貧困&治安が悪い地域、ノースチャールストンがあります。
ノースチャールストンに宿泊し、車で南下しながら景色や雰囲気がどんどん変わっていく様子を目の当たりにして、チャールストンが持つ歴史の暗部を感じ取ったのでした。


チャールストンでは南部料理も食べました。

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ミートローフ、アスパラ、フライドオクラ、マフィン。
オクラのブツ切りから揚げは、アメリカ南部を代表する料理です。すっごいおいしい!酒のつまみに最高(笑)




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チャールストン観光④ 潜水艦内部

さー、いちおう潜水艦(USS Clamagore SS-343)もやっときましょうか。

巨大で豪華な空母と違い、潜水艦はま~、見るからに狭い。
空母が広大な豪華絢爛お屋敷暮らしだとしたら、潜水艦は4畳半のオンボロアパート暮らし、といったかんじ。

まずは外観から。
幅8,3メートル。全長95メートル。潜水艦の向こうに空母。

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入り口は潜水艦上部のせま~い入り口(赤い矢印)から入ります。

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内部は、ほんっとに狭い。狭いのひとこと。空母を歩き回った後だけに、これはきつい!!と思いました。

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通路はこの1本があるのみ。
私でも通るのが精いっぱい。ガタイのいい大男がこんなところで何か月も暮らしたら精神的に狂いそう。

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トイレも超狭い。

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上官の部屋でさえ、2畳ほどの広さしかない。


潜水艦乗組員の生活環境は劣悪もいいところで、どれほど過酷だったか想像に難くない。
まず、潜水艦内の気温は30℃前後でめちゃくちゃ暑い。
そして、ほぼ湿度100%。
そのため、食料はすぐに腐り、ほぼ缶詰生活。
真水がとても貴重なため、なかなか風呂に入れない。そのため服がものすごく汚れるが、洗濯する水もないので洗濯できない。とうぜん、船内はどんどん臭くなる。
そして、大きな空母と違い波の揺れももろに受ける。
新鮮な空気を吸いたくても、みだりに浮上できない。

潜水艦乗組員にだけはなりたくないですね~!!


この潜水艦は1945年に進水したため、主な活躍は冷戦時だったようです。
それにしても、何十年も海水に浸かりっぱなしの割には綺麗かも。




空母、潜水艦をまわったら駆逐艦まで歩き回る気力が失せてしまいました。
戦艦とか見回るのって、ほんとに疲れるんですよ(-_-;)

駆逐艦は外観のみ眺めて、終わりにしました。

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この駆逐艦(USS Lafey DD-724)は沖縄まで来たようです。
22機の戦闘機に攻撃されたと書いてあります。ヨークタウン共に、太平洋戦争に参加した主力艦だったのですね。


すべては見回り切れませんでしたが、太平洋戦争と縁の深い空母、戦艦を見れたことは非常に貴重な経験となりました。


チャールストン観光③ 空母ヨークタウン inside編

さて、今度はヨークタウンの内部へ。
外見もバカでかければ、内部もバカ広いです。
空母内を全部見学するということは、要するに4~5階建ての大きなショッピングセンターを端から端までくまなく歩き回るのと同じようなもんですので、相当疲れました(-_-;)


まずは、格納庫(Hangar deck)。

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戦闘機いくらでも入りそうに広い格納庫。
甲板、格納庫あわせて最大で90~100機くらい積めるようです。専用エレベーターでデッキに上げます。

格納庫から下は、戦艦ノースカロライナと似ている。
食堂、寝室、洗面所、郵便局、歯医者、手術室、床屋、売店、小さな町まるごと、ってかんじ。

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ミニ教会。

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洗面所。

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厨房はマネキン、食品サンプルを使用しリアルに再現されています。
おやつのパイ菓子も欠かせない。
毎日朝、昼、晩、3000人分。大変だあ。

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パイロットの待機室、作戦室。

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エンジンルームは狭い。航行中はさぞかし暑かっただろう。



内部は太平洋戦争の展示物がすごく充実していました。
日本ではお目にかかれないような、日本の戦争の遺留品とかもね。

戦艦大和の模型がありました!

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私、日本で戦艦大和の模型すら見たことがありませんでした。
まさか、アメリカの、戦艦大和を沈めた空母ヨークタウンの内部で、戦艦大和の模型を眺めることになるとは・・・


そのほか、日本の戦艦や空母など、模型ががすごくたくさん展示されていて、びっくりしました。
これは、日本の空母、飛龍の模型。
まさに、ミッドウェー海戦でこの空母ヨークタウンとガチの殴り合いをした、空母飛龍。

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今でこそ日本は空母を保有していませんが、太平洋戦争開戦時、日本は空母大国でした。
真珠湾攻撃ができたのも、多数の空母を保有していたからです。

日本の保有していた空母一覧、および結果がどうなったかを示したパネルがありました。
「Imperial Japanese Air craft carriers(大日本帝国空母)」
ちょっと見づらくてすみません。

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太平洋戦争時、日本は空母を25隻も保有する空母先進国でした。
あれだけ多数の空母、戦艦を保有していながら船を動かす肝心の石油のほとんどはアメリカから輸入していたという愚。
一覧でみてわかるとおり、日本の空母はほぼすべて、「SUNK(SINK=沈む、の過去形)」とあります。
25隻のうち21隻は沈められ、残り4隻は「Scrapped」、解体され、日本の空母も戦艦も、戦争終了時にはことごとく消え去りました。

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こちらは、空母「瑞鶴」が沈む直前の写真パネル。斜めになった甲板に兵士が集まっているところ。


「神風特攻隊」の展示も多数ありました。

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カミカゼ第一号によって、フライトデッキがダメージを受けた様子。

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カミカゼが格納庫?につっこみ(左下)、それをアメリカ兵士が眺めているさま。

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当時の新聞記事もたくさん展示してあった。
「JAP」とか「NIP」とかばっかり(汗) 

日本が戦争をした相手国でこういうものを見ると、日本とアメリカが戦争をしたってことをより実感します。
見回りながら祖父や祖母がしてくれた戦争の話など思いだし、こみあげてくるものがありました。
二度とこういうことがないように、努力しなければいけませんね。





チャールストン観光② 空母ヨークタウン outside編

サムター要塞ツアーが終わったらランチ、といっても近くのスタバで。
各自ドリンクと、2人で1つのパンを分け合って食べただけ、という超節約ランチ。あんまりお腹すいてなかったしね。
ちなみに、翌日のランチもスタバで各自パン1個ずつ(笑) 貧乏旅行者みたい。今回はグルメとか全然行ってないんすよね~

軽いランチしたら、すぐさま空母ヨークタウンへ。
空母を英語でいうと、 ”Aircraft carrier”です。
空母ヨークタウン(USS Yorktown、CVS-10) は、チャールストン観光の目玉の1つとして港に展示されています。

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とにかくでかーーい!!

空母は戦闘機を離発着させるため、めっちゃ大きい。実際に船に乗ってみると想像以上の大きさ・・・外観にも内観にも、とにかく圧倒されました。

まずはチャールストン市街の対岸にある、Patriots Pointという場所の受付でチケット購入。
入場料は大人20ドル、6~11歳12ドルです。

実は、展示されているのは空母だけでなく、駆逐艦(USS Lafey DD-724)と潜水艦(USS Clamagore SS-343)、ベトナム戦争ミュージアム的なものなどいろいろあり、ものっすごく見学に時間がかかります。全部しっかりみたら4時間はかかります。歩きやすい服装で、覚悟していってください(笑)


入場料を払って空母に行く前に、お決まりの強制写真を撮られました。
帰ってきたらプリントが展示されてて買うやつね。これ、うざい!

空母に行きつくまでに、かなーり長い橋を渡っていきます。

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上から見たら、こんなに長いのよ!
この橋を渡るだけでけっこうな運動ですわ・・・

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背後から眺めた空母外観。

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近づけば近づくほど、その壮大さがよくわかります。ほんっとによくこんなもん大量に作ったなというかんじ。

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空母のすぐ隣にある駆逐艦。
駆逐艦も相当な大きさなのですが、空母のせいでちっちゃく見えてしまう。

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そして潜水艦。
潜水艦内部も見学できる。潜水艦ってなかなか入る機会がないので、すごく貴重だと思います。

今回の記事はoutside編ということで、とりあえず外観をじろじろ眺めまわす主旨なので、ひたすら写真を貼っていきます(笑)

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空母内部操縦室より、船首方向の飛行甲板を眺める。(窓越しに撮ったので汚れが目立ちますね)
海の奥にかかっている大きな橋は、2005年に完成したばかりのアーサー・ラベネル・ジュニア橋(Arthur Ravenel Jr Bridge)。
アメリカ大陸で最長の斜張橋です。トータルの長さが4kmもあります!
この橋の上は歩いたり自転車で走ったりもできて、歩行者、ランニングしてる人がいっぱいいましたよ!
眺めがいいし、時間に余裕があったら歩いてみたいね。

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各種戦闘機、ヘリ、積みまくり。
甲板はかなり広いんだけど、それでも戦闘機の離発着ができるギリギリの長さなんだと思う。
離陸はまだしも、着陸はものすごく難しい。
着陸するためには数本のワイヤーを張ってそこにひっかけて強制的に止めるんだけど、うまくいかなかった場合はタッチアンドゴー(即座に再離陸)をしなければならないので、離陸ができるようにエンジン全開猛スピードで降りてこなければならないのです。
ワイヤーにひっかかってコケたり、失敗して海に落ちる、っていうのも珍しくないみたい。

かなり腕がよくないと、こんなとこ怖くて離発着できないね!

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F-14A戦闘機、Tomcatがありました。


この空母ヨークタウンは、実はCV-10という型で、エセックス級空母の2番艦。
前代のCV-5という型のヨークタウンは、ミッドウェー海戦で日本軍に沈没させられました。
そして、このヨークタウンCV-10は戦艦大和を沈没させた張本人でもあります。
戦艦大和以外にも、日本の空母・瑞鶴(ずいかく)、戦艦・榛名(はるな)、軽巡洋艦・矢矧 (やはぎ)など、数々の日本の戦艦を攻撃、沈没させています。もちろん、多数の”カミカゼ特攻”を撃ち落しています。
ヨークタウンは、太平洋戦争で日本と血みどろの戦いをした因縁の空母なのです。

ヨークタウンの戦果は、下記のようなパネルで貼り付けられていました。

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グループ9の戦果。
大日本帝国の旗のマークは、撃ち落した日本の戦闘機の数107機(+14機?)。
右上、破壊した戦闘機の数、74機(+112機?)。
右中央、破壊した船の数、43隻。
右上から3番目、沈没させた船の数6隻及び戦艦大和、矢矧


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グループ88の戦果。
戦艦榛名、戦艦およだ?の上にあるマークは、破壊した鉄道の数。

他にも、グループ1、グループ3、など同じようなパネルが何枚も、何枚も。。。。
これのパネルを眺めていたら、悲しくて泣きそうになりました。



次回は空母内部のレポートをします。



チャールストン観光① 南北戦争始まりの場所・サムター要塞

チャールストン観光のスタートは、サムター要塞(Fort Sumter)から!

サムター要塞は南北戦争が始まった場所として有名な場所!
なぜここが始まりの場所となったのか?
それは、アメリカ合衆国(北軍)を一番最初に脱退したのがサウスカロライナ州だから。
もともと、サウスカロライナ州は「州の権限」を強く意識している、独立心旺盛な州で、独立戦争時にもアメリカ独立宣言が出される100日も前に、自分たちの憲法を作って共和国としてどこよりも早く独立した州でもあります。
アメリカの中でも先鋭的というか、反骨精神旺盛というか、独立戦争でも南北戦争でも一番乗り、っていう面ではなかなか面白い州ですよね!

話を戻して、ではなぜサウスカロライナ州が一番にアメリカ合衆国を脱退したのか?というと、チャールストン港を持つサウスカロライナ州が綿花&奴隷貿易の中心地だったからです。
ほんとに綿花と奴隷がなかったら生活が成り立たなくなる州だったわけです。
今まで絶好調にうまくいってたのに、その生活が絶たれるとなれば、州をあげて反対するのは当然といえます。
1860年に、サウスカロライナ州がアメリカ合衆国を脱退すると、翌年このサムター要塞の砲撃を発端として南北戦争が始まりました。


その、サムター要塞ですが、イメージは長崎の軍艦島みたいなかんじです。
チャールストン港の入り口に要塞だけの小さな島がぽつんとあり、船でしかアクセスできません。
チャールストン市街からは観光船が1日2~3回出ており、島に着くまで30分もかかります。
船の本数が少ないし、人数制限があるのでネットからあらかじめ予約をしておいたほうが安心です。
行き30分+要塞見学フリータイムが1時間+帰り30分、で最低2時間は時間が拘束されるので、時間に余裕を持ったほうがよい。
料金は大人19ドル、4~11歳12ドル、3歳以下無料です。

船に乗る前に、強制的に全員写真を撮らされる。(よくある、帰ってきたらプリントされた状態で高い値段で売りつけられるやつ) 笑顔を作る前にシャッター押されるし。流れ作業で撮って、ハイ次、ハイ次、って。こんなの、誰も買わないしいらんって・・・ アメリカでもこういうのあるのね。

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船上から、サムター要塞が見えてきました!
何を隠そう、船大~好き!ぜんぜん船酔いしない(ダンスで頭を振ったり回転しまくった経験により三半規管が鍛えられたと思われる(笑))ので、けっこう揺れてもオッケーです!
基本、「女は黙ってデッキ」という主義を持つ私ですが、この日はなぜか気温が寒すぎてデッキに立てず。情けない。
船上からチャールストン市街も見れるし、対岸には空母があったりして船旅自体が楽しいです。


上陸すると、思ってた以上に小さな島。ほんとに、要塞があるだけ。
最初に、レンジャーから注意事項の説明があり、解散して各自ぶらぶら見学。

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外壁はかろうじて残っていますが、もともとは三階建てのかなり大きな建物でした。↓
戦争中にフルボッコにされてぶっ壊されたんですねえ。

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大砲は大きなものがぐるりと一周、大量に設置されています。

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撃ち込まれた砲弾が、レンガの壁に刺さった状態のまま!


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いや~、ダンジョン感ありますなあ。子供のころ来てたらここでドラクエごっこやってたな。

サムター要塞を守っていたのはもともとサムター要塞の管理をしていた政府側、北軍側でした。
南軍からの砲撃が開始されるとたった2日でボッコボコに壊され、即降伏、サムター要塞は南軍の手に落ちました。
やっぱり孤立した島では補給も限りがあるし、とにかく小さい島なのでどう見ても勝ち目はないですね。
ほぼ全壊したサムター要塞でしたが、北軍側に戦死者は出ていません。
戦死者も出ず、たった2日で一方的な南軍の勝利に終わった「サムター要塞の戦い」はほんとに始まりのラッパが吹いただけのようなものだったんですね。
このあと、結果的に60万人の死者が出るような血みどろの戦いになるとは、誰も予想していなかったでしょう。


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要塞には各種南軍の旗がはためいています。アメリカ合衆国から脱退して南部連合の数が増えるたびに★の数が変わり、旗も変わりました。最終的に、南部連合は11州。(サウスカロライナ州、フロリダ州、ジョージア州、ミシシッピ州、ルイジアナ州、テキサス州、ノースカロライナ州、ヴァージニア州、テネシー州、アーカンソー州)
パルメットヤシの木のデザイン、青い旗はサウスカロライナ州の旗。



要塞内には博物館、お土産もの屋までありぶらぶら見ていると1時間があっという間に過ぎていきました。


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貴重な要塞を見学できて、天気にも恵まれて本当によかったです。
船旅も楽しいので、歴史に興味がある方はぜひ行ってみてくださいね。















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